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僕たちの心のふるさと「清流」から

職業としての「川漁師」を失いたくない

平工顕太郎

- 背景と挑戦 -

日本の河川は

高度経済成長の代償となりました

併せて

食文化の変化に伴い川魚を食する機会が減少し

レジャーの多様化で日本人の川との関わりや

身近な川への関心は薄れるていくばかり​

昭和30年代以降

川漁師が内水面漁業だけで生計を維持することは大変困難になり

この地域、そしてこの国から「専業川漁師」がどんどん消えていく始末…

2021年現在

長良川の流域最年少漁師は69歳となりました

ゆいのふね

かつて

私は岐阜が誇る伝統「長良川鵜飼」に携わり

宮内庁式部職 鵜匠代表に仕える専属船頭をしていました

鵜飼

しかし

華やかな表舞台の陰で

漁業を生業にして生きている本物の漁業者たちの営みが消えていく現状を知ります

 

この事実を知った私は岐阜が誇る鵜飼産業から離れ

20代で長良川中流域の木造和船を継承し

「川で生きる覚悟」を決めました

​幼い頃から親しんだこの川で “川漁” を営み始めると同時に

大切なパートナーである漁舟の一般開放を試みます

そして観光ツーリズムを組み合わせた

オリジナルコンテンツとして岐阜城下の長良川を舞台に

「乗船されるお客様と一緒に完成させる新しいスタイルの舟旅」

 

を漁業と並行して展開し始めました

岐阜体験

大学時代に学んだ水産学の専門知識を活かし、舟旅では「川漁師の目線」「五感で長良川を体感」

モットーに、長良川中流域に今日まで伝えられる伝統漁法の紹介・実演や、濃尾平野で懸命に生き抜いて

きた淡水魚たちの生態・生活史さらには水面下に棲息する生き物たちが発するメッセージなどをお客様と

共に分かち合います

私は、未だこの地域に馴染みの薄いサスティナブルツアーの実施を通じて、市場に潜む消費者ニーズを

掘り起こしながら観光客ならびに地元の方々に対して地域固有の魅力を発信し続けていきたいと考えます

 

 

 

そして今もなお、この地で受け継がれ続いている

“人間と自然と生物との関わり”   “川に寄り添う人間の営み”

“後世に伝え残したい川風景”   “伝統”   “川文化” 

 

 

これらの保全に寄与できる活動を

『川漁師』という現場の立場にこだわって 続けていく覚悟です

長良川

しかし、

前述のとおり時代の変遷の中で親の代から続いた「川漁師」の看板を降ろさざるを得なかった現役世代の諸先輩方がいる中で “長良川で生計を立てる” ことに挑む若者の姿は必ずしも共感を得られるわけではありません。現実として、漁業関係者からの風当たりは強く「あいつは馬鹿ものだ!」「家庭がありながら何をやっている」「今の時代に川で生活できるわけがない!」などと周囲からは奇異の目でみられる始末

 

それでも、清流長良川が今日まで育んできた”川文化”と、

先人たちの知恵が集結された”伝統漁法”を守り次代へ繋ぐため

私の挑戦は続きます

結の丸
結の丸

日本全国に長良川の天然鮎需要が確実に存在すること、そして生産者と食品バイヤー、あるいは消費者との繋がりが生まれることで、扱う天然鮎の【鮮度】ならびに【価格】双方にとって有益な取引が可能になること、それこそがこれからの時代に川漁で生計を立てていくための重要な要素であると信じて、川漁の技術習得と流通の勉強に励んでおります。都市部での情報発信では過去に3度、東京ビッグサイトへの出展も実施いたしました

 

そして2015年8月、魚介類販売業を取得し

自らの手で漁獲した川魚たちと共に6次産業化の道へと繋がるスタートラインに立ちました

 

2017年には飲食店営業を取得し

天然鮎直売所と天然鮎料理店を構えることができまし

 

2018年は川漁を主軸にした地域への魚食普及や地産地消への貢献、

青少年コミュニティの形成、そして木造和船の保全事業等にも取り組み始めました

2019年は観光事業の拡大に向け、長良川鵜飼エリアに新店舗を構えました

あわせて航空会社や百貨店との連携も実現し、岐阜の清流文化を全国発信する基盤が整いました

2020年は中央卸売市場「水産物売買人資格」を取得し

自ら競りに参加して岐阜県全域のブランド天然鮎を扱い始めました

同年、SDGsを意識した活動に注力すべく本部を移転し

本部敷地内に川魚サイトを併設することができました

平工顕太郎
平工顕太郎
川舟
鮎価格

現在は “天然鮎の目利き” を活かした

天然鮎流通のお手伝いを企業様とも協力して

実施しています

若き川漁師の本当の挑戦はここからです!

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